井沢元彦氏の偉大な業績

「逆説の日本史」で著名な井沢元彦氏の歴史認識への功績は計り知れないものがある

歴史の真の姿を浮き彫りにするのは勿論のこと歴史から現代人が何を学ぶのかということをはっきりと主張しておられる そのことを踏まえた上で私と見方の異なる所を述べたいと思います

井沢氏は日本人のベースに「言霊信仰」「和」「怨霊~鎮魂」があるという それ自体はそのとうりだと思うが それらが何故生まれたのか については言及されていない あ もひとつ「穢れ」があったね まづ「言霊信仰」だがおそらくは言霊のパワーは太古(日本に限らず)には実在していて パワーは次第に失っていったが信仰だけが残っていったと思われる 何故そんなことが言えるかというと量子力学的に言うと 総ては振動であり周波数で存在しているワケで言葉にもそれぞれ固有の周波数があるワケで現実世界に力を及ぼすのは当然の理であろう

「和」は井沢氏は「何事も話し合いで決めるべし」と解釈しているがその背景には大自然の営みから日本人が学んだものではなかろうか

「怨霊~鎮魂」はおそらく弥生期に生まれたと私は考える というのも怨霊というのは「高貴な人が無念の死を遂げた場合」になるとされるからだ 縄文の政争のない社会では有り得ないのである

そして「穢れ」だが井沢氏は「死穢」というのがあって人が死ぬと穢れが発生し大地も穢れ 特に天皇程の高貴な方が死ぬと広大な土地が穢れるのでその都度遷都を余儀なくされたらしい

しかし縄文社会にはそうした考えは見当たらない縄文集落は放射状に造られていてその中心に先祖が埋葬されていて日常生活の中にお墓があるワケ

とすると「穢れ」の概念はいつ生まれたのか 井沢氏は弥生人という侵略民族が 稲作と仏教を持って来て「肉を殺す文化を持つ」縄文人を差別した となる がそもそも農耕民族が侵略行為するというのが極めて不自然と思われる

私は縄文人が自ら稲作を受け入れ仏教を容認し弥生人になっていったと考える そしてカウンターバランスとして「神道」が生まれそれに乗り切れなかったものは古神道として差別されたのではないか

今後も塾考してゆく

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