逆説の日本史そして...

逆説の日本史 とは実に面白い書だ 著者 井沢元彦氏の歴史の真の姿に迫ろうする所も共感するし 現代社会の問題が歴史から繋がっている事もよくわかる だからこそ歴史を学ばなければならないという主張もそのとうり この書では少し苦手意識のある時代も面白くて仕方ない しかし総て氏の説く事がすんなりと咀嚼できるわけではない

問題は古代史だ

古代日本と言えば縄文人だが文献では秀真伝であり考古学的には殺された人骨が殆どないというところから恒久平和 理想社会と思いたい(学者じゃないのでこういう書き方になる)しかし井沢氏は「穢れ」という古代人の考えに注目する まづ「死」が穢れであり死体であり血でありそういったことに携わる人間であり墓の周辺でありこれら総てが穢れなのであり現代にも残ってしまった部落差別のルーツであるという

それ自体はきっとそうなのだろう ポイントは神道と古神道の異いだ

古神道と秀真伝と縄文文化はほぼほぼイコールと考えていいと思う 古神道の特徴をここでいちいち挙げたりしないが 古神道は神社や鳥居を必要としない(神社のしめ縄は実は神様を封じ込めるためのものだという)恐らく今の神道が生まれたのは仏教伝来の際にカウンターバランスの産物だったのではないか 「穢れ」の思想もこの頃生まれたのではないか

井沢氏は出雲の大国主命と天照大御神(アマテル神)の間に乱というか争いがあっただろうというが秀真伝の信望者としては到底受け入れられない

それに氏の書き方だと大和朝廷は弥生人渡来系政権みたいに読めるが弥生人とか縄文人という人種がいるわけではない 人骨が違うという人もいるが生活習慣が変われば骨格ぐらい変わるのだ

そういえばアマテル神の姉ワカ姫様の墓所(岩屋)は今の蘆屋の辺りだが死穢によって穢れたという痕跡はないように思う

しかしそれでもイザナギが死者の国から戻って川で禊ぎをする件は秀真伝にも出てくる 穢れという概念自体は既にあったことは間違いない ここからはいろいろな事が考えられるが私としてはイザナギが過去 過ぎた事に執着しいわばくよくよしていた魂を禊いだのではないか

今後も塾考してゆきたい

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