芸術家と環境

学童クラブでの話 お外でMちゃん(2年生女子学童きっての知性派)と喋ってた所マラソン大会(今は持久走大会とは言わないらしい)の話題になった 私は「マラソン大会っていう落語出来るかなあ」と何気なく言うと

Mちゃん「やってやってそれやって!今やって!」「えーじゃあ やってみるか」どうなるかわからんけどやってみた で やってみると結構やれちゃうもんで ちよっと止まるとMちゃんが「早く!つづき!つづき!」と追い立てられ しかし追い込まれるとやれるもんで ただ落ちがなかなかできづマラソン大会が終わっても話がつづきマラソン大会後数日立ってやっと落ちがついたのだった

結果的になかなかの話になった少し整理すればちゃんとしたネタになりそうだ

芸術家が芸術を生み出す際快適な環境で自由にやれれば優れた芸術が生み出されるとは限らない 抑圧されたり制限された所から見事な芸術がしばしば見られる(ベートーヴェンの耳の障害やショスタコーヴィチのスターリンからの圧政をみよ)

とはいえ自ら迫害や不自由な環境でを望むものなどいない

実は芸術家にとってより本質的に重要な事があるそれは

(つづく)

 

きって

 

 

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