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いよいよ稲刈りなどの農繫期なのでしばらくブログも書けないなと思っていたら今日は雨たっぷりと作業出来るところ土手と畔上刈しかできなかった まあ人間の営みなど大宇宙の視野からはカスみたいなものかもしれないざんすね 雨でも出来る事をすればいいざんすね 車のオイル交換 ホームセンターで買物 神様が体を休めろと言っているざんすね そう云えば数日前ちよっと体調不良だったので一日断食をしたばっかりだったざんすね

今この瞬間を生きることがなにより大事

デヴィッド・ボウイの「アースリング」のライナーノーツに「過去は既に死んだものであり 未来は頭の中の想像に過ぎない 幸せは永遠の中にある 永遠の今という瞬間の中だけにー」とある

一方で生活には段取りがあるし農業は年を通じて段取りの連続だ ある程度の時間軸的な思考が当然必要 ましてや林業ともなると途方もないスパンとなる それでもそうなのだ永遠の今という瞬間の中にだけに幸せがあるのだ 私が畑で倒れるか落語の高座で落命するかそれともわの舞で逝ってしまうか そしてそれでいいのだ 「人生いたるところ青山あり」という言葉があるがこの青山というのは実はお墓のことでしてすなわちいたるところにお墓があるということであって どういう事かというと、「死ぬにふさわしくない所などはない」という意(これを どこで死んでもいい などと言ってはいけない)

欲がいけないエゴがだめなんだ 私と家内はヤマギシズムという所にいたんですが そこでは我執という言葉をよく使っていたけど どうしたらその我執がなくなるかは遂に教えてもらう事はなかった 私なりに考えていたのは一つはやはり踊る事であり躍る事なのだが こんな事は太古の人々は当たり前のように知っていたのだろう 踊ることで無私への回路は示されたのだ も一つは和歌や短歌俳句を歌う詠うことで心を靜潤に保つという考えだが ある程度は有効だと思うが 平安貴族の最期を見るとやはり限界がある

そもそも欲やエゴを理性として抑え込もうとしても大概失敗する

わの舞を確立した千賀先生は言う「中心軸が無いからエセ軸のエゴを使ってしまうんだ」

かくも わの舞は奥が深い

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